用賀観音で知られる無量寺は
文禄三年(1594)に他界した
光蓮社明誉寿広和尚が
開山しました。
この頃は、九品仏の老僧の
隠居所のようなもの
だったようです
この寺は、浄土宗鎮西派に
属し、芝の西応寺の末寺で
崇鎮山観音院無量寺と号します





本尊は木彫り三尺余りの
阿弥陀如来像です


観音堂に安置されている
尊像は木彫八寸の
十二面観音で
「用賀観音」といわれ
広く知られています。
天正年間(1573-92)に
用賀に住んでいた
高橋六衛門尉直住が
品川の浜で漁師の
網にかかったこの
仏像を譲り受け
家に祀り供養していると
夢枕に観音菩薩が立ち
無量寺に納めるよう
お告げしたと
伝えられています。
この観音菩薩は
12年に一度午年に開帳され、
その姿を見ることができます

明治初年頃には
観音講が組織されており
観音様の御巡行が毎月18日に
各村で行われていました。

また、毎年11月に行われる
十夜法要が観音講と重なる
18日には、
信者たちが寺に集まり
夜店が出るほど
にぎわったいいます。

境内の樹齢百数十年という
大イチョウが
今もこの寺を
静かに見守っています。








横に書いて有りました↑

用賀4-20-1



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