目黒通り沿いに
この神社は有ります
ここは、文亀年間
(1501〜04)に
世田谷城主・吉良頼康が
隆盛していた
熊野信仰を取り入れ
熊野神社を迎えて
建立したのが始まり
だと伝えられています

鳥居をくぐって右手のクスノキ

祭神は天照大神をはじめ
よろずの神々を
合祀していることから
神徳は広大無辺で
延命長寿・商売繁盛
殖産興業・縁結びなどに
霊験があるといいます。
始めは熊野神社といい
玉川村の鎮守でした
明治5年(1872)には
村社となり
明治41年(1908)に
村内に奉祀されていた
神明社・御嶽社
諏訪神社を合祀し
玉川神社と名を改めました

神楽殿
社殿手前、左側にある神楽殿で
9月に行われる例大祭では
神代神楽が上演され、また神輿など
祭りに使う道具が納められています
境内にある三つの碑・・・
一つは、大正12年
(1923)に
玉川村の村長に就任した
豊田正治氏が
農業生産中心の村から
消費都市へと
移行する事を予想し
都市化に対応する
土地整備の
必要性を痛感して
昭和2年に着手した
耕地整備の記念碑。
そして、事業の半ばで
亡くなった
玉川全円耕地整備組合の
組合長だった
豊田氏と測量技師、
高屋直弘氏
(昭和23年没)の碑です。
耕地整備は
組合が土地を買い上げ
整備後、所有者に
売り渡すという方法を
取りました。
苦心の末
昭和29年には
全面積約1100fの
整備工事が完成し
玉川地区は
現在のような
整然とした
街並みとなりました。

崖下の子供を見る獅子像
説明看板⇒

等々力3−27−7


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