致航山感応院満願寺は
新義真言宗智山派で
京都智積院の末寺です

戦国時代の中頃
吉良氏によって深沢村に
創設され、天文23年
(1554)から永禄7年
(1564)の間頃に現在の
地に移ったといいます
また、代々知識の高い僧が出た
ことでも知られ、第九世は柳沢出羽守に
召されて講義をするほどでした

「如意満足の福報」を
与えてくれるとあり、人々の
信仰を集めていました。
●昔は三体ともここに有りましたが、現在は
分散してしまい、他の二体の所在は
はっきりしていません。
このお寺は、日本三体地蔵の
一つ「一言地蔵」で庶民に知られて
いました。祈願の和讃には
願い事を一つ、一言だけ述べれば
「悲願成就をさせ給ふ」地蔵であり

本堂裏の墓地には
江戸時代の学者、細井広沢の墓が
一族の墓と並んで建っています
広沢は万治元年(1658)
に遠州静岡県掛川に生まれ
11歳の時に江戸に出て
儒学をはじめ、和歌・兵学
武芸・天文測量・歌道
絵画を修め、私塾を
開いて青年たちを
教育しました。


等々力3−15−1


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