慈眼寺は室町時代後期
小田原北条氏の家臣
長崎四郎左衛門によって
開基されました

新義真言宗に属し
喜楽山教令院慈眼寺
といい、長崎の祈願所
として建てられました
この慈眼寺の開山には
こんな、お話が伝えられます



鎌倉時代後期に、玉川神社わきの
多摩川を望む崖下から仏像が見つかり
その仏像を納めるお堂が建てられました
しかし、その仏像が掘り出されてから
里人に禍が起ったため、再び地下に埋め
天文2年(1533)長崎四郎左衛門は
お堂を崖上に移して本尊の大日如来を
安置し、慈眼寺と名づけ
長崎家の祈願所としました。

本尊大日如来については
「新編武蔵風土記稿」に記載が有ります
「本尊ハ大日如来ヲ安ズ
木ノ坐像ニテ長二尺五寸ナリ」
頭髪は昭和10年頃、また台座と光背は
昭和50年に新しく造られました。
お墓参りにいらした
方々が寄られる
建物はちょっと
モダンでした(微笑)



瀬田4−10−3



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