3丁目〜5丁目付近
2001/12/16

散歩の参考書「一歩二歩散歩」を読んでいたら、成城に富士見橋があり
ここから富士山が綺麗に見えるらしい・・・冬の清んだ空気
これはもしかすると、富士山が拝めるかも知れない!さっそく散策に出発です!!



富士見橋らしき所に・・・
ただ残念な事に、富士山は見えない
そして、小田急複々線化工事で
すっかり様子が変ってしまったようです
前に見える橋が「不動橋」
橋の上から、やはり富士山を見る人?
ここで「不動橋」の方に行って
見る事にしました


この橋は車は通れません
この不動橋は、富士見橋よりも
先に出来たといわれ
喜多見不動に行く橋として
造られたため、その名が
ついたと思われるそうです

この時には喜多見不動に行く事は
考えて居ませんでした・・しかし



ポールが立ち車止め


ここからも工事中の柱が・・・
ここの景観はどうなってしまうのか?
(下に小田急線が走ります)
←不動橋から見た富士見橋

がっかりしながら、成城5丁目猪股庭園を目指して歩きます
そこは、以前に紹介した「深沢2丁目広場」と同様に
せたがやトラスト協会さんが、保存管理している場所です


高級住宅の中を捜しながら、ようやく到着です
まだ、建造物は新しい・・・本当の高級住宅です

門から玄関までの景観

この猪股邸の案内看板


紅葉も綺麗にお出迎え・・
またまた残念な事に、住宅内部の見学は
出来ますが、庭園内は「苔」の具合が悪く
入る事が出来ません・・
また、写真撮影には許可を・・の案内板
許可を頂いて撮影しようかと思ったのですが
庭園の中に入れないので、写真は又の
機会にして500円也の寄付をして
内部の見学だけをさせて頂きました

猪股邸を後にして、なるべく新しい住宅街ではなく
昔の名残をさがして、散策をする事に・・・・
富士見橋の方に戻りながら、裏道へ入って行きました


綺麗な道だな〜って思いながら歩いていると
←せたがや百景でした
この辺りの住民の方々の努力で
生垣が続く散歩には最適な道です
時々車が走って来ますので
注意は必要ですが、のんびりと緑を
見ながら歩くと目にもやさしいですね

ここで地図を見ながら、散策をしている方と
すれ違いました・・すでに散歩スポットに
成っている様ですね・・・(微笑)

この近辺は協定によって、環境を保護しているらしく
こんな看板を見つけました


歩いていると、左側一帯が雑木林の場所に出ます

付近で観つけた
昔の住所

門柱だけが
残っていました

成城4〜20、22丁目一帯は
「神明の森・みつ池」ですが、昭和53年に
世田谷区特別保護区に指定され
中に入ることは出来ませんが、初夏の夜には
柵越しに蛍が飛び交う様子が見られるそうです

成城の街は、多摩川の清流を間近にひかえた武蔵野台地の上にあります
この地が成城と呼ばれるようになったのは、大正14年(1925)
牛込の成城学校から分離した成城学園が開校し
昭和2年に開通した小田急線が「成城学園前駅」をつくってからです
それ以前は、「北多摩郡砧村大字喜多見東之原」が正式地名でした
森と雑木林とわずかな畑しかない小さな村だったそうです

そんな台地の上に有る事を、思い知らされる坂を下りてみる事に・・

車が谷に・・・・



坂を下から見て・・・
写真で見るとそうでも無いですが
歩くと結構キツイ!
また坂を登って成城に戻ります・・が

下りる時には、左側の風景を気にしていたので見逃した・・・
お寺らしき屋根があるじゃないですか!
また坂を下ります・・(爆)


これが、喜多見不動だったのです
喜多見不動の紹介は別ページで

成城散策に戻ります・・
考えてみると、成城の丘、その崖っぷちを散策しているんです
道をそれて、左に入ると必ず坂か行き止まり・・それも崖!
この地は富士山を眺めるには最高なんですね
なんだか、羨ましい・・・・・

また、行き止まりかな〜って思いながら、砂利道を入ると

また発見!
せたがや百景です

桜と紅葉のトンネルになる?
らしいのですが・・・
ちょっと遅かったようで
散った後⇒
この道を進むとやはり
行き止まりでした(微笑)

桜の季節にまた来よう!


散策をしていると、時々空き地が見られます
時代の流れ?なのでしょうか・・「売地」の看板も見うけられました


このお宅もかなり立派な豪邸だったはず・・・・
中庭と思われる場所に竹が、寂しそうに風に揺れていました

また坂を下ってみました



ここは人間専用!
自転車はOKですが、無理でしょう
押して行きましょうネ!

下って登ると結構・・キツイ!
その為に手すりが有ります・・・・

ここは、成城3丁目「明正小学校」の西側
住宅街の中に有る細い急坂
これは、江戸時代の始め頃、この地を治めていた
旗本喜多見氏の当主で目付や大阪目代など
幕府の要職を歴任した、喜多見重勝の茶室が
有った事から「
お茶屋坂」と名前がついています


坂上の空き地からの眺め

そろそろ太陽もかたむき始めました・・冬は夕暮れが早いので
もっと早い時間から散策を始めないと・・思いつつ
PM1時頃から始めたこの散策、この時点で3時20分・・・
暗くなる前に帰ろうと、本日のレポートはここまでです

最後にクイズ!

なんでしょう?これ
答えは⇒

付近の地図はこちらで

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