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富士見橋らしき所に・・・
ただ残念な事に、富士山は見えない
そして、小田急複々線化工事で
すっかり様子が変ってしまったようです
前に見える橋が「不動橋」
橋の上から、やはり富士山を見る人? |
ここで「不動橋」の方に行って
見る事にしました
この橋は車は通れません
この不動橋は、富士見橋よりも
先に出来たといわれ
喜多見不動に行く橋として
造られたため、その名が
ついたと思われるそうです
この時には喜多見不動に行く事は
考えて居ませんでした・・しかし
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ポールが立ち車止め
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ここからも工事中の柱が・・・
ここの景観はどうなってしまうのか?
(下に小田急線が走ります)
←不動橋から見た富士見橋
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がっかりしながら、成城5丁目猪股庭園を目指して歩きます
そこは、以前に紹介した「深沢2丁目広場」と同様に
せたがやトラスト協会さんが、保存管理している場所です
高級住宅の中を捜しながら、ようやく到着です
まだ、建造物は新しい・・・本当の高級住宅です
猪股邸を後にして、なるべく新しい住宅街ではなく
昔の名残をさがして、散策をする事に・・・・
富士見橋の方に戻りながら、裏道へ入って行きました
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綺麗な道だな〜って思いながら歩いていると
←せたがや百景でした
この辺りの住民の方々の努力で
生垣が続く散歩には最適な道です
時々車が走って来ますので
注意は必要ですが、のんびりと緑を
見ながら歩くと目にもやさしいですね
ここで地図を見ながら、散策をしている方と
すれ違いました・・すでに散歩スポットに
成っている様ですね・・・(微笑) |
この近辺は協定によって、環境を保護しているらしく
こんな看板を見つけました
歩いていると、左側一帯が雑木林の場所に出ます
付近で観つけた
昔の住所
門柱だけが
残っていました
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成城4〜20、22丁目一帯は
「神明の森・みつ池」ですが、昭和53年に
世田谷区特別保護区に指定され
中に入ることは出来ませんが、初夏の夜には
柵越しに蛍が飛び交う様子が見られるそうです
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成城の街は、多摩川の清流を間近にひかえた武蔵野台地の上にあります
この地が成城と呼ばれるようになったのは、大正14年(1925)
牛込の成城学校から分離した成城学園が開校し
昭和2年に開通した小田急線が「成城学園前駅」をつくってからです
それ以前は、「北多摩郡砧村大字喜多見東之原」が正式地名でした
森と雑木林とわずかな畑しかない小さな村だったそうです
そんな台地の上に有る事を、思い知らされる坂を下りてみる事に・・
車が谷に・・・・
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坂を下から見て・・・
写真で見るとそうでも無いですが
歩くと結構キツイ!
また坂を登って成城に戻ります・・が |
下りる時には、左側の風景を気にしていたので見逃した・・・
お寺らしき屋根があるじゃないですか!
また坂を下ります・・(爆)
これが、喜多見不動だったのです
喜多見不動の紹介は別ページで
成城散策に戻ります・・
考えてみると、成城の丘、その崖っぷちを散策しているんです
道をそれて、左に入ると必ず坂か行き止まり・・それも崖!
この地は富士山を眺めるには最高なんですね
なんだか、羨ましい・・・・・
また、行き止まりかな〜って思いながら、砂利道を入ると
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また発見!
せたがや百景です
桜と紅葉のトンネルになる?
らしいのですが・・・
ちょっと遅かったようで
散った後⇒
この道を進むとやはり
行き止まりでした(微笑)
桜の季節にまた来よう! |
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散策をしていると、時々空き地が見られます
時代の流れ?なのでしょうか・・「売地」の看板も見うけられました
このお宅もかなり立派な豪邸だったはず・・・・
中庭と思われる場所に竹が、寂しそうに風に揺れていました
また坂を下ってみました
ここは人間専用!
自転車はOKですが、無理でしょう
押して行きましょうネ! |
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下って登ると結構・・キツイ!
その為に手すりが有ります・・・・ |
ここは、成城3丁目「明正小学校」の西側
住宅街の中に有る細い急坂
これは、江戸時代の始め頃、この地を治めていた
旗本喜多見氏の当主で目付や大阪目代など
幕府の要職を歴任した、喜多見重勝の茶室が
有った事から「お茶屋坂」と名前がついています
坂上の空き地からの眺め
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そろそろ太陽もかたむき始めました・・冬は夕暮れが早いので
もっと早い時間から散策を始めないと・・思いつつ
PM1時頃から始めたこの散策、この時点で3時20分・・・
暗くなる前に帰ろうと、本日のレポートはここまでです
最後にクイズ!
なんでしょう?これ
答えは⇒
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