三軒茶屋
江戸時代の中期の頃、大山街道沿いの三叉路に 「信楽」「角屋」「田中屋」という三軒の茶屋が出来ました。 当時、水の神・農業の神・商業の神として 信仰を集めていた丹沢の大山阿夫利神社参詣のため、 人々は大山街道を通るようになりました。 「長い旅の疲れを癒す一服のお茶を」 「今夜の宿はどこでしょう」 三軒の茶屋は旅人の道中の目標となり 「三軒茶屋」と呼ばれ親しまれるようになりました。 明治時代の中頃には、三軒茶屋界隈の軍事関係施設の 移転に伴い、その施設の周辺に住宅や商店が建ち始め 三軒茶屋は賑やかな町へ変わっていきました。 その後、明治40年(1907)に渋谷〜二子多摩川園に 玉川電気鉄道が開通すると、三軒茶屋には 寄席の太宮館が建ち、時にはサーカス小屋もたつなど いっそう賑やかになりました。 |