若宮八幡




鎌倉時代後期、この辺りの領主北条左近太郎入道成願は
八幡大神(応神天皇)を厚く崇敬していました
彼は八幡宮を勧請しようと神に誓って馬にのり馬が止まった
所に社殿を造ろうと考えました。こうして徳治3年(1308)
馬の留まったこの地を駒留と名付け八幡神社を
創建したといわれています。


せたがや百景の看板

小さいが趣の有る木製の鳥居



さらに奥に鳥居が見えて来ました・・・


精悍なお顔!

睨みをきかせます


その後、戦国時代には吉良家の所領が続き、七代目頼康に至って
縁の深い神社となりました。彼が寵愛していた側室・常盤が
他の側室たちの嫉妬であらぬ事を告げ口され
不義の罪をとがめられて自害し、その時非業の
死を遂げた常盤の胎児を八幡宮に一社相殿として祀り
若宮八幡と称し、供米田を寄進して家門繁栄を
祈願したと伝えられます。

勿論、今でも木々は大切にされています・・・これ!


同時に沢山の方が
お参り出来ますね!!

さらに、奥に進みます



左奥には幾つかの祠が
ありました・・


駒留稲荷神社
常盤は死後、
怨霊となって里人を
恐れさせたため
頼康は彼女の無実を認め、
田中弁才天として供養し
本殿の左奥の厳島神社に
祀りました。


この祠が上記の説明の
厳島神社だと・・


厳島神社常盤弁天

戦没者慰霊殿


見上げれば、ノッポさん・・・
太くは無いのですが、もの凄く背の高い「クロマツ」が


ハタキ?みたいな木・・



世田谷「名木百選」!

万歳!している様でした


この神社は環状7号線のすぐ横にあります



付近の地図はこちらで

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