西澄寺は新義真言宗に属し
日輪山薬王院と号します。
隆向和尚によって創建され、江戸時代末期から
明治維新にかけて無住となり、荒廃しかけましたが
明治25年(1892)に三田村慧荘和尚が入山し
寺を復興させました。
 


山門は港区三田に有った、旧阿波二五万石
蜂須賀家の屋敷門をそのまま移築したもの
都の文化財に指定されています。




蜂須賀家の紋


重厚な金物



 

鐘楼
 

本堂は大正11年(1922)に改築されたもの
鐘楼のつり鐘にも、こんな話が残されています
この寺が無住だった頃、三田村慧荘和尚が
寺を盛りたてようと荒行をし
地元の人々にお灸を施していました
そのうち、受灸者たちから
良く効くお灸のお礼にと、金属のかんざし
鏡などが納められるようになり
明治32年(1899)にこのつり鐘が
鋳造されました。
第二次世界大戦には、軍に供出されましたが
終戦後、深川の焼け跡から無傷で
見つかりこの寺に復帰しました。
 

書院は元港区麻布龍土町に有った
西園寺公邸のものと伝えられています。

本堂と橋でつながっています
 

かなり立派なお寺です
特に山門(屋敷門)は見ごたえが有ります

お近くにお出かけの際には
是非、訪れてみて下さい。



世田谷区下馬2−11−6



付近の地図はこちらで

ブラウザーの戻るでこのページにお戻り下さい


メニューに戻る

TOPページに戻る

inserted by FC2 system