こまつなぎじんじゃ


鳥居をくぐり、右の階段を昇ります


鳥居下の石碑・・神社名はこの文字が
正しいのですがPCには存在しないのです・・

 
平安時代後期、源頼朝は奥州平定の藤原泰衡を
征伐するために、文治5年(1189)に
大軍を率いて鎌倉を出発し世田谷郷まで来ました

頼朝は当時、子の神と呼ばれていた
この神社に祖先が武運を祈り、戦に勝った事を
思い出し、芦毛の愛馬から降り
神楽殿の松の木に繋いで参拝したといわれます。



そして藤原氏を滅ぼした頼朝は
鎌倉に幕府を開き、威勢を振るいました。

以来、子の神を駒繋神社と称し
明治以降は正式に駒繋神社と
呼ばれるようになりました。



 
神楽殿
この、子の神とは大国主命であり
出雲大社の分霊です。

また、頼朝がこの地に狩りに来た時
愛馬、葦毛の馬が急に驚き
ぬかるみに落ちて死んでしまいました。

そこで馬の供養に塚を築き
村の人はこれを「芦毛塚」と呼ぶように
なったそうです。
(散歩の最後に紹介しています)
 
境内左側に招魂社もありました



私が見学していた、数分の間にも
手を合せて行く方が、何人もいました
中には中学生?かな〜って言う方も
とても微笑ましかった・・・

世田谷区下馬4−27−26


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