世田谷・ボロ市通り
天祖神社〜代官屋敷跡


12月15・16日と1月15・16日にボロ市で賑わう上町に有る天祖神社そして
世田谷代官屋敷、天明の飢餓の影響などで荒廃した世田谷領を復興させた名代官の屋敷跡で
国の重要文化財にも指定されている。

また、さまざまな民俗資料を展示した郷土博物館もある。(撮影禁止)



若林公園にあった地図から

          
ボロ市通りから少し奥まった所にある天祖神社。 目印はこの石柱の天祖神社の文字
(世田谷信用金庫の隣)

    
石柱を目印に奥に進んで行くと、広場がある、子供の憩いの場所になっている
神社は奥に有る小さな社と狛犬だけのシンプルなものでした。
柵がしてある為、近ずいて撮影出来ず、狛犬は隙間から撮影しました。

この神社の左側にある集会所は地域の方に多く利用されているとの事です。

さて、次は代官屋敷に・・・
振り返り、ボロ市通りの戻ると目の前が
「代官屋敷」です。


ボロ市通り、左側が天祖神社、右側が代官屋敷

    
これが表門、そして石柱


表門にあった、昔の電話番号
電話番号が玄関に書いて有るようなもので、今では考えられない事です


門の左手に入口が有ります、入口にはこの看板
(残念ながら門からは入れないのです)

     
これが正面玄関          そして屋敷の裏手より               落ちつきのある縁側

◎世田谷代官は、佐野奉行の配下に属し、彦根藩世田谷領20ヶ村2300余石の
地域を支配しました。しかし、世田谷領分が井伊家の江戸屋敷の賄料として与えられた関係で
御元方勘定奉行及び御賄方からも直接指示を受ける立場に有りました。
そのため職務の内容も煩雑で、今で言えば、税務署・区役所・警察署などを
一緒にしたような大変な仕事だったのです。〜代官屋敷パンフレットより

順路に進んで行くとこんな看板が


   
役目を終えた者たちが、今はここで静かに余生を送っていました
ここは、郷土博物館の一部ですが内部の撮影は禁止です
(御願いすれば撮らせてくれるかも)

資料館の中で、縄文土器、弥生土器、古文書などを見学して(入館無料)
特別展示のコーナーへ行くと、
「記憶の中の風景」〜写真で見る世田谷の昭和30年代と今〜
と言うものをやっていた、同じ場所を写真で比較をしているので
発展振りが良く解る催しでした。
(2000年11月30日までの特別展です)

資料館を出るときに、受付で資料を頂き「記憶の中の風景」の
写真集を買って(300円也・・安い!)代官屋敷の順路に戻ると程なく

  
  なんだ!ここに座らせたのか?
写真では見にくいのだが、6〜7cmの石が敷き詰められていました。

ここを過ぎると表玄関に戻ります。
(この辺りでバッテリーを交換して下さいのサイン)
バッテリーを使い果たした私はここで本日は退散です

付近の地図はこちらで

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